ものすごく久しぶりにmixiに日記を書いた。
そしてその日記をどうせ誰も読まないからと、こっちのブログに書き直そうかと思った
でも考えたら
そんなたいそうな内容じゃなかった
( ´∀`)つ ミ [mixi日記]
とりあえず要約すると、先週のグレンラガンが最終回で悲しかったよねってこと。
熱血はよいものだ。足りない分は勇気で補え。
でも練習は真面目にやれ
でないと白い悪魔がやってくるんだぜ・・(りりかるストライカー8話参照)
ところで
周知の通り私は萌え萌えしたものが大好きな最低野郎ですが、
同時に萌え萌えしたアニメやゲームが嫌いな屈折した性癖を持っています。
例えば、私の両親は今期は瀬戸の花嫁に大はまりしてるのですが
そんな人間に
うはwwwwwアニオタ乙wwwwwwwwwwwwwwwっうぇwwww
と罵られてもそれはこっちのセリフだと思うわけですが
まあそこは相手が相手だ。
シスプリとかマジ気持ち悪くて見てらんないって言ってる側からぴたテンに大はまりして、
そのくせ苺ましまろをキモオタの妄想扱いしつつも、あずまんがは神アニメと言い放つ。
そんな異次元思考回路を持っている相手の言うことなんて気にしてはいけない。
あずまんがもキモオタの妄想に準じるだろと思ったけど、コレを言うと他の人からも苦情が来そうだ。
他にもガンスリンガーガールにはねーよと言って、
そのくせクロノクルセイドについてはなんか随分語ってたりしたけど、何が琴線に触れたのか、
語られた内容はまるで覚えてない。どっちも面白いとは思ったけど、そんな違いあったかなー。。等々etc...
いや、そういう身内の恥をさらす話じゃないくて、
まあ世の中にはKey作品は他と違うんだよ!とかTypeMoonだけはマジ神とか
そういう意味不明な理論を展開する人は山ほど居るので気にすることではない。
人は、それを信者と言うのだ。
だから、ええとですね、話を戻すとですね、
例えばうちの両親は他にシャナもゼロの使い魔も見てたりしたわけですが、
正直俺は見てないわけですが、
つまり、ああいうものに今ひとつなじめないという話。
あんなヒロインに萌え萌えするばっかりの話に何の価値があると、
ナギに萌え萌えして、あきら様におは☆らっきー!してる口で言いたくなるわけです。
ちょっと下の日記を見れば、脳内に天使様が降ってきてとても幸せな気持ちになってるくせに、
じゃあ実際そんなアニメとか漫画とかラノベとか始まったらどうかっていうと、
見るわけないじゃんと思ってしまう。
本当は好きなはずなのに、なぜそういう風に思ってしまうのか。
このあたりの屈折具合が悩みの種なわけです。もっと素直にアニメを見ることはできないのか。
いやできない。何故かできない。
いやまあ瀬戸の花嫁は別に面白いと思うけどね。単に俺が乗り遅れただけで。
あれはほら、そんなものにはまってるやつが何言ってやがるっていう、
信者特有の「これは違うんだよ!」に
お前は何を言っているのかと、言いたくなる。そういう特有の反感なんだよ。
うちの親に限らず、
自分がキモオタだって認めろよ!
と言いたくなることは多い。自分だけ違うような顔はいくない。
図らずも幾度となく身内の恥をさらしているわけですが、
要約を試みると、「ハルヒは神アニメ。これは間違いない」って言ってる奴が
「らき☆すたwwwねーよwwこのキモオタがwwwww」って言ったら、
吹かざるを得ないということです。
でも、そこで吹いたら「ぶひひwwそんなことも知らないの?ww」って笑ったような、
そういうキモオタ変換をされた認識をされる罠が待っている。
アニメ論議のいけないところは、自分の物知らずによる恥を、
全部相手のキモさに転嫁するような論理展開が可能なところではないかと思う。
いや、もちろん我々が世に言うキモオタ一同であることは全く疑念がないのだが、
だからといって、そこを指摘している自分はキモオタではない、ような振る舞いはいけない。
そういうことだ。
うん。ほどほどにちゃんとまとまった気がするから話を戻そう。
こんなことばっかり書いてると、「被害妄想乙wwww」って言われそうだしな。
ええとそれで、
つまり萌えアニメになじめないという話だった。
なんかもう理論展開がどうとかマジめんどくさいから、適当に結論だけ書くと、
もちろんそう思うというだけだから、
ある視点から見ればそれは結論ではなく仮説を上げただけに過ぎないとか、
あーもうめんどくさい。数学も科学も大っ嫌いだ。
ってことなんですが、
日本語ってのはどうも表現の多様さに富んでいる分、性格に物事を記述することに向かないようだ。
だから、読者によって解釈が違うことも可などというたわけたことが起きるわけで、という話は止めて
つまり
作り手が「あ~はいはい、萌えす萌えす」ってやってんじゃねぇの!?
と思ってしまうのが嫌と言うことなんだと思います。
とりあえずキャラクタ殺してみて「ほら、感動でしょ?」ってやられたような作品とか、
みんなも見ていて腹が立つものがあるんじゃないだろうか。
それと同じように、「こうすれば萌えるんだろ?わかってんだよww」
ってやられたら、「なんだこの野郎」って思う。つまりそういうことなんだ。
我々はもちろん萌え萌えしたいが、それは誰かから与えられた萌え要素ではいけない。
作り手の魂から生まれ出るような、押さえきれない衝動を、とうとう話に反映してしまった。
そういう、「やっちゃった☆ZE」的な萌え要素とか、
作り手に踊らされてる感でない、萌え萌えが欲しいんだ。
例えば、熱血ものっていうのも、やっぱり「こういうのが熱血だろ」ってコンセプトで作ってる気がするけど、
アレには素直に乗れることが多いんだ。
それはやっぱり、熱血という要素がそういう面を含んでいるのではないかと思う。
始めは「こういうのが熱血」で作っていた形骸化した熱血の提供者達も、
やがてその先人達の創り上げた熱血の外郭に触れることで、魂の奥深く眠る何かが呼び起こされる。
そして、ついには、魂から沸き立つ熱血を、押さえられない魂を、自重しきれずテレビ画面にぶつけてしまう。
そういう面があるんじゃないか。あるといいな。
僕たちは、ただそこにある作品やキャラクタを見ているんじゃない。
それを通して、その向こうに立っている作り手も、同時に見ているんだ。
そう思います。
そしてどんどん自分が作り手になろうとするのが難しくなる。それはとても恐ろしくて――Ask..._〆(-∀- )